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多発するストーカー殺人事件の背景にあるものは(2) [ニュース・社会]

ストーカー殺人事件の背景には加害者自身の「自信の無さ」と「自尊心の欠如」があるという私の仮説ですが、そのような加害者の人格がどうして形成されたのかということから、日米の教育のことを考えてみたいと思います。

 ■ 日本の教育について考えてみる~「間違いが少ない方が評価される」

このような事件を起こす人が増えてきた背景を考えると、我が国の教育の現場において、子供たちに自信やプライドを持たせることを目的とした教育がどれほどなされているのかということが気になります。

子供のころから受けるテストは減点主義で、正解が評価されるのではなく間違いが少ない方が評価されるという教育です。そのような教育において生徒を評価するには、正解があらかじめ分かっている課題しか出題されないので、その課題から離れたところで子供たちが多様に持っている良いところを評価してあげにくい教育環境にあるような気がします。

加えて、教師の方も、子供たちの学力(それも減点主義のテストをクリアするための学力です。)を上げることで精いっぱいで、それぞれの個性を尊重して、良い面を伸ばしてあげるといった教育がどの程度できているのかということについては、疑問符を付けざるを得ません。

 ■ 「社会に出るためのトレーニング」を子供のころから経験させる~アメリカの教育

数日前に、「アメリカの民主主義教育と全米最優秀教員から学んだこと」というタイトルのセミナーを受講する機会がありました。講師は星槎大学特任准教授の野口桂子さんです。
野口さんは、家族と一緒にアメリカに住んでいたときに10歳のお子さんが学校から帰って来て

「先生が『友達と仲良くしなくていい』って言った。」

という話を聞かせてくれました。

お子さんの担任の先生に話を聞いたところ
「学校は社会に出るためのトレーニングをする期間でもある。
実社会で相性の合わない人とでも協力して仕事の成果をあげる必要があるのと同様に、学校においても、上手く人間関係が築けない相手がいるのは普通のことで、それでもその相手と協力して何かを成し遂げるようになれなければならない。
そういうことを子供たちがまだ小さいうちから経験させる必要がある。」
ということでの発言だったというのです。

 ■ 子供たちの可能性を信じて「優れていること」を伸ばす教育

日本では、他人と違うことに否定的な評価をする風土があるような気がします。
特に子供のうちは、「差をつけることが可哀想」などといった発想で、運動会の徒競走ではみんなで手をつないでゴールインするといったことが話題になったこともあります。

そんな表面的なことをしたとしても、個々の能力の差は厳然と存在している訳で、そのような教育は伸びる人の芽を摘むだけでなく、ある一面で劣っていてもほかに優れた資質を持っている人の良さも殺してしまうことになりかねません。

アメリカでは、子供たちの可能性を信じて、良い面を伸ばす教育が主流のようです。チームで何かの課題に取り組むときに、多くの面ではうまくやれなくても、特定の場面で他のメンバーをリードしてチームに貢献することができれば、チームのヒーローになれるということを、幼いころから経験させてもらえるのがアメリカの教育です。

日本とは余りに対照的なアメリカの教育ですが、どんな人でも仲間に貢献することで評価され得る。そんなことを社会性の未成熟な子供のうちから体験させられれば、その後成長してから困難に遭遇したとしても、自分の力を信じて乗り越えていけるようになるのだと思います。

日本でも、このような発想に基づく教育が、子供たちがまだ幼いころからなされるようになれば、他人を尊重するたくましい大人がもっと育ってくるのではないかと思っているのですが、皆さんはどう思われますか?


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Boris

What's up colleagues, how is all, aand what you want to say regarding this piece off writing, in mmy view its truly rremarkable in favor of me.
by Boris (2023-09-11 03:18) 

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