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コメディー映画「ザ・インタビュー」をめぐる波紋の違和感 [ニュース・社会]

ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントが北朝鮮の金正恩第一書記暗殺計画をテーマとした映画「ザ・インタビュー」の公開に踏み切りました。

この映画を巡っては、北朝鮮が最高指導者暗殺をテーマとする映画ということで強い反発を発表し、同時期に同社に対するサイバー攻撃が行われたこともあって、上映を見合わせる判断が一旦はなされたようです。

ところが、FBIがサイバー攻撃に北朝鮮が関与したと認定したことを受けてオバマ大統領が上映見送りの判断を非難したことなどもあって、この映画はアメリカ国内の一部の映画館で封切られることになりました。

個人的には、表現の自由を守るということは大事なことだと思うので、北朝鮮の脅しに屈せずに映画が上映されたことは、それはそれで評価できることだとは思うのですが、この映画が本当に金正恩氏の暗殺を誘発するような危険な映画だったのかということにはかなりの疑問を持っていました。

アメリカの製作会社だって、本当にそのような社会的影響の大きな映画であれば、あえて危険な作品を作るだけの大義名分がない限りはそんな無謀なことはしないと思ったからです。

そんな気持ちでいたところ、この映画を話題にしたラジオ番組の内容がネットで流れていました。
http://miyearnzzlabo.com/archives/21765

私も映画を見たわけではありませんが、ここで話されていることが本当であれば、そんな映画を制作することに政治的な意図を感じることは無いでしょう。
また、ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントが封切を見送ったのも、北朝鮮の脅しに屈したというよりも、単に興行的に成功が見込めないからという理由だったのかもしれません。

ところが、この映画のことが世界中で話題になったことからひょっとしたら興行的にも成功するのではないかという思惑もあって封切に踏み切ったというのが本当のところじゃないでしょうか。

いずれにしても、上記のサイトで紹介されているこの映画の内容を見る限り、「目くじら立てて騒ぎ立てる話なの?」というのが率直な感想で、仮に検証のためであっても、こんな映画を見るのは時間の無駄と思ってしまいました。

というよりも、騒ぎ立てている人の中でどれだけの人が映画を見ているのだろうかと思ったりもしました。

皆さんは、この映画観たいと思いますか?

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「女性専用車両」に男が乗り込むことはどうなの? [ニュース・社会]

知人がSNSで「絶叫する女、同情する女たち」という動画https://www.youtube.com/watch?v=FS6xLpPmzlE&feature=youtu.beを紹介していたので見てみたのですが、いろいろと考えさせられたので、私なりに感じたことを書いてみます。

この動画では、電車の「女性専用車両」に乗り込んだ一人の男性に対して、女性乗客が「この車両は女性専用なので他の車両に移ってください。」と言ったのに、その男性が従わなかったところ、その女性が「男の人が怖いの!!」と絶叫したという場面が描かれています。

男性がそれでもこの車両に居座ると、女性の反応に呼応して、周りの女性たちも車両を移動するように言い寄り、最後は駅に着いて駅員からも促されたけれども従わなかったという顛末です。

 ■ 女性専用車両を設ける合理性

このビデオの投稿主は、「女性専用」という車両があること自体が男性に対する差別ではないかと訴えたいようなのですが、見た後の印象としては不快感しか残りませんでした。

動画の中では、女性専用車両は通勤時間帯だけなのに、この絶叫している女性について「帰りはどうやって帰るの?」とのコメントを入れて、女性専用車両の必要性に疑問を投げかけています。

おそらく、絶叫した女性は帰りの時間は普通の車両に乗って帰るのでしょう。
だからといって女性専用車両の必要性がなくなるわけではありません。過去に男性から痴漢等の仕打ちを受けて、それがトラウマとなってしまっている女性はおそらくいるでしょう。中にはPTSDの症状が現れている人もいるかもしれません。(この叫んだ女性もその可能性はあります。)

女性専用車両はそのような女性たちに「安心感」を提供する場所です。
1日の通勤で2回電車に乗る必要があるとしても、片道だけでも安心できる車両で通勤できるだけで、その心理的負担は大きく違います。

とくに過去の痴漢被害の時間帯が朝の通勤時だった場合には、心理的なストレスは朝の時間帯が最も大きくなるので、この時間帯だけでもそのストレスから開放してあげることはとても有用なことです。

男も同じような被害に遭う人が増えれば、同様の車両ができても良いのかもしれませんが、現実に痴漢被害に遭うのはほぼ100%女性ですから、女性専用車両を設けることに合理性はあります。

 ■ 「男性が女性専用車両に乗り込む」という行為を法的に考える

そしてこの男性はこのように嘯きます。
「女性専用車両なんてのは嘘だよ。」
「そんなの誰が決めたんだよ。」

この論理は、自分の「女性専用車両に乗り込む行為」は法的に何ら制約を受けるものではないので、女性専用車両に乗り込んだって構わないし、誰にも止めることはできないということなのでしょう。

確かに、鉄道会社に女性専用車両に男性が立ち入ることを禁止する権限はないようです。 また、軽犯罪法第5条の「汽車、電車、乗合自動車、船舶、飛行機その他公共の乗物の中で乗客に対して著しく粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者」にもぎりぎり当たらないのでしょう。

しかし、この男性の行為が、鉄道会社との関係で違法とは言えないとしても、撮影されている女性に対して違法性がないといえるでしょうか。

この女性が、男性恐怖症という精神疾患を患っていることを知った後も、この車両から敢えて降りずに、女性の神経を逆なでし続けたとしたら。女性に対する違法な攻撃と評価される可能性はあるのだと思います。

そして、そのようなことから、仮にこの叫んだ女性が心理的なストレスで心的外傷を受ける様なことがあれば、この男性にはそのことに対する損害賠償の義務が発生するかもしれません。

また、自分の行為によって女性が何らかの異常をきたすかもしれないと感じながら車両内に居座った場合には、理論上傷害罪が適用される可能性もあります。

実際にはこのような行為を犯罪として取り締まることは難しいのでしょうが、自分の主義主張を表現する方法としても適切なものとは到底思えません。

他人を不快にさせて、センセーショナルな映像を撮影してアップすることで、注目されるかもしれませんが、その考えが称賛されることはありません。

良識ある大人のやることではないというのが率直な感想です。

注)本コラムは、鉄道会社の運送約款に関して、マスダに誤解があるとのご指摘を複数いただきました。その点は修正いたしましたので、この点のご指摘に関するコメントは削除させていただきました。


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公的年金運用先の見直しはアベノミクスの裏ワザか [ニュース・社会]

公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が進める運用見直しについて、田村厚生労働大臣が作業の前倒しを要請し、想定していた年内の見直しを秋に早める見通しだと報道されています。

これまでの年金運用先は、安全性を優先して株式投資の割合は低く、その分収益性も低かったために、想定通りに年金の積立金の増大ができなかったことから、運用先を見直すということなのだと思います。
運用先の変更によって年金の積立金が増大するのであれば、私たちが将来受け取る年金財源が厚くなるので歓迎といった面はあるのですが、この運用先の見直しには裏の目的があるのではないかと勘ぐってしまいます。

というのは、この度の運用先の見直しによって増えるのが、国内株式への投資だからです。

 ■ 年金の運用先が国内株式になると何が起こるのか?

GPIFは、約129兆円の積立金を運用する世界有数の機関投資家ですから、その投資マネーが向う投資先の資産価値は間違いなく上がるとみて良いでしょう。ですから、この投資マネーが国内の株式市場に流入すれば、国内の株価が上昇することはほぼ間違いないといえます。

安倍政権になって、国内に景気回復の機運が高まったのも、異次元の金融緩和と円安を背景に、民主党政権時代の株安から一転して株価が上昇に転じたからですが、このGPIFの運用先変更は株価をさらに押し上げる効果が予想されます。

安倍政権は、成長戦略の分野では、今一つ国民を納得させられる政策を打ち出せていないような気がしますが、株価が再上昇のカーブを描くようになれば、そのことに対する批判の声も少なくなります。

そして市場には景気の良い話が飛び交うようになり、国民の多くが景気回復を実感できるようになるというのが安倍政権の描いている今後の経済運営なのだと思います。

このような理想的なシナリオ通りに国内景気の回復が進めば良いのですが、官制の株高がいつまで続くのかは未知数ですし、これに対抗する海外のヘッジファンドなどの動きによっては、一気に年金財源が破たんするリスクも孕んでいる政策でもあるので、手放しで歓迎できるものでもありません。

ただ、これだけは言えると思っているのは、これから年末にかけて日本株は買いです。株式投資に興味のある方は、今が始めるチャンスかもしれません。

でも、株式投資にはリスクはつきもの。あくまでも自己責任で投資してくださいね。


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浅田真央選手に見たアスリートとしての矜持 [ニュース・社会]

ソチ冬季オリンピックが終了しました。
多くの皆さんは、テレビ観戦で寝不足の日々がやっと終わったという安堵感と、祭りの後の寂しさを感じていることと思います。

ソチオリンピックでは、日本選手団は海外で行われた冬季オリンピック史上最多の8個のメダルを獲得したということで、成績のうえでは合格点を付けられるのかもしれませんが、メダル獲得種目の多くが新しい種目で、競技人口がまだまだ多くないことを思うと、この成果を手放しで喜ぶことはできません。

その一方で、日本が伝統的に強かったスピードスケートでは、メダル獲得はならず、男女ともに複数メダルも期待されていたフィギュアスケートも、終わってみれば羽生選手の金メダル1個という寂しい結果となってしまいました。

 ■ オリンピックの感動はメダルだけではない~人の心を動かした選手たち

そんなメダル争いとは、別に、敗れ去った選手たちの言動がこれほど私たちの心を打ったオリンピックも少ないような気がします。

絶対的優勝候補とみられていた高梨沙羅選手が、4位に敗れた後に健気に周囲に対する感謝の言葉を述べたことは、あんな小さな女の子に日本中がプレッシャーを背負わせてしまった罪悪感すら覚えさせるものでした。

もう一人日本中が期待していた浅田真央選手もショートプログラムでまさかの16位と出遅れたけれども、失意を乗り越えて翌日のフリープログラムで自己ベストを更新する最高の演技を行い、見ていた私たち日本のファンだけでなく、多くのフィギュア選手たちからも称賛の声が寄せられました。

ネット上では、キムヨナ選手と浅田選手の成績を巡って、浅田選手に不利になるようなルール変更が重なったことや、演技の評価点に異常な開きがあることなどが指摘されましたが、そのような情報から私が感じたのは、今のルールで戦う以上、浅田選手が自身の理想とするプログラムで金メダルを獲得することは極めて難しいことなのではないかということでした。

今のフィギュアのルールは、技の難易度による評価の差よりも出来栄えによる得点の差の方が重視されることになっていることは、フィギュアのルールに詳しくない私でも分かったので多くの人も知っていることだと思います。

現に、今回のソチオリンピックで浅田選手が演じたプログラムとキムヨナ選手が演じたプログラムでは、演技の基礎点は10点近く浅田選手の方が上で、そのうえ浅田選手自身も納得の最高の演技をしたというのに、より易しいプログラムをそつなくこなしたキムヨナ選手の方が高い得点を得る結果になりました。

そのうえ、難しいジャンプに挑戦して失敗すると、基礎点を引かれるほかに、当然演技の出来栄えもマイナス評価になるし、つなぎのスケーティングに対する悪影響もあるなど、難しいジャンプに挑戦することのメリットが余りになさすぎるのが今のフィギュアの採点ルールです。

 ■ 浅田真央選手のこだわり~アスリートとして目指す最高峰

それなら、金メダルを取るために、浅田選手もキムヨナ選手と同じレベルの技を完璧に演じるという選択肢もあったのではないかと思いますが、浅田選手はそのような選択はしませんでした。浅田選手ほどのスケーティング技術をもってすれば、キムヨナ選手と同レベルのプログラムで高得点をたたき出すことはさほど難しいことではなかったのではないかと思いますが、彼女は敢えてそのような道は選ばなかったのです。

失敗することで逆にマイナスの評価になるリスクも厭わずに、多くのライバルたちが飛べないトリプルアクセルに果敢に挑戦して、失敗を重ねても、これが自分の代名詞だと挑戦をやめませんでした。

また、今回のフリープログラムでは、前人未到の6種類のトリプルジャンプ全てを含む8トリプルに挑戦して、一部回転不足はありましたがすべて降りることに成功しました。かつての名選手ミシェル・クワンや今回のオリンピックで引退を表明したロシアの「皇帝」プルシェンコら多くのフィギュア選手が浅田選手の演技を高く評価したのは、難しい技に挑戦することこそがアスリートとして目指す演技の最高峰だということを感じているからなのだと思います。

プルシェンコと言えば、前回のバンクーバーオリンピックで銀メダルに終わった際に、優勝したエヴァン・ライサチェクが4回転を飛ばなかったことに批判的なコメントをしたことを思い出しますが、今回の浅田選手のフリーの演技に対して「真央は本当に素晴らしかった。特にトリプルアクセルはよかった。君は真のファイターだ」とツイートして、難しい技に果敢に挑戦する姿に最大級の賛辞を送っています。

フィギュアスケートが採点競技である以上、どうすれば高い得点を得られるのかという戦術は必要なのかもしれませんが、人間としての能力の限界に挑戦するアスリートとして、自分が目指す最高峰の演技を追求し続けた浅田選手の姿に心打たれるのは、ファンとして応援している私たちだけではないのです。

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ロシアの地方紙の記者が書いた記事があります。
「私は”サムライ”を見た。それはマオ・アサダだ。すでにSPで勝負の行方は分かっていたが、マオは他の女子には誰にもできない3回転半ジャンプに殉じて、ハラキリした」
「”サムライ”にとってメダルが何だ!ハエだ!”サムライ”にとって唯一の勲章は不朽の名声だ」
と熱くつづったそうですが、サムライはともかくとして、高得点を確実にあげることよりもアスリートとしての矜持を選択した浅田選手の気持ちに共感するファンは、このオリンピックの浅田選手のフリーの演技に対して不朽の名声を惜しまないのだと思います。

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多発するストーカー殺人事件の背景にあるものは(2) [ニュース・社会]

ストーカー殺人事件の背景には加害者自身の「自信の無さ」と「自尊心の欠如」があるという私の仮説ですが、そのような加害者の人格がどうして形成されたのかということから、日米の教育のことを考えてみたいと思います。

 ■ 日本の教育について考えてみる~「間違いが少ない方が評価される」

このような事件を起こす人が増えてきた背景を考えると、我が国の教育の現場において、子供たちに自信やプライドを持たせることを目的とした教育がどれほどなされているのかということが気になります。

子供のころから受けるテストは減点主義で、正解が評価されるのではなく間違いが少ない方が評価されるという教育です。そのような教育において生徒を評価するには、正解があらかじめ分かっている課題しか出題されないので、その課題から離れたところで子供たちが多様に持っている良いところを評価してあげにくい教育環境にあるような気がします。

加えて、教師の方も、子供たちの学力(それも減点主義のテストをクリアするための学力です。)を上げることで精いっぱいで、それぞれの個性を尊重して、良い面を伸ばしてあげるといった教育がどの程度できているのかということについては、疑問符を付けざるを得ません。

 ■ 「社会に出るためのトレーニング」を子供のころから経験させる~アメリカの教育

数日前に、「アメリカの民主主義教育と全米最優秀教員から学んだこと」というタイトルのセミナーを受講する機会がありました。講師は星槎大学特任准教授の野口桂子さんです。
野口さんは、家族と一緒にアメリカに住んでいたときに10歳のお子さんが学校から帰って来て

「先生が『友達と仲良くしなくていい』って言った。」

という話を聞かせてくれました。

お子さんの担任の先生に話を聞いたところ
「学校は社会に出るためのトレーニングをする期間でもある。
実社会で相性の合わない人とでも協力して仕事の成果をあげる必要があるのと同様に、学校においても、上手く人間関係が築けない相手がいるのは普通のことで、それでもその相手と協力して何かを成し遂げるようになれなければならない。
そういうことを子供たちがまだ小さいうちから経験させる必要がある。」
ということでの発言だったというのです。

 ■ 子供たちの可能性を信じて「優れていること」を伸ばす教育

日本では、他人と違うことに否定的な評価をする風土があるような気がします。
特に子供のうちは、「差をつけることが可哀想」などといった発想で、運動会の徒競走ではみんなで手をつないでゴールインするといったことが話題になったこともあります。

そんな表面的なことをしたとしても、個々の能力の差は厳然と存在している訳で、そのような教育は伸びる人の芽を摘むだけでなく、ある一面で劣っていてもほかに優れた資質を持っている人の良さも殺してしまうことになりかねません。

アメリカでは、子供たちの可能性を信じて、良い面を伸ばす教育が主流のようです。チームで何かの課題に取り組むときに、多くの面ではうまくやれなくても、特定の場面で他のメンバーをリードしてチームに貢献することができれば、チームのヒーローになれるということを、幼いころから経験させてもらえるのがアメリカの教育です。

日本とは余りに対照的なアメリカの教育ですが、どんな人でも仲間に貢献することで評価され得る。そんなことを社会性の未成熟な子供のうちから体験させられれば、その後成長してから困難に遭遇したとしても、自分の力を信じて乗り越えていけるようになるのだと思います。

日本でも、このような発想に基づく教育が、子供たちがまだ幼いころからなされるようになれば、他人を尊重するたくましい大人がもっと育ってくるのではないかと思っているのですが、皆さんはどう思われますか?


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